ペター・ソルベルグ

世界ラリー選手権(WRC)のスバルワークスチームのエース、ペター・ソルベルグ。

1974年11月18日、ノルウェーの生まれ。
兄ヘニング・ソルベルグもラリードライバーで、妻パニエラもラリー・ドライバー一家の生まれ。 WRCは1999年のスウェディッシュラリーにてフォード・エスコートでワークスデビュー。20 00年8月にスバルワークスへ移籍して現在に至っている。
派手なパフォーマンスや陽気な性格、ファンサービスも旺盛でついたあだ名は「ハリウッド」。ライ バル(乗っている車のパフォーマンスから現在はライバルと呼べないかもしれないが)のセバスチャ ン・ローブとは対象的だがF1ドライバーのようなギスギスした関係はなくセバスチャン・ローブと ペター・ソルベルグの関係だけでなく、WRCドライバー同士のバッドエピソードはあまり聞いたこ とが無い。
確か2004年だったと思ったが、ドライバーズタイトルを決めたセバスチャン・ローブがゴールを すると彼とタイトル争いを繰り広げていたにも関わらず、ペター・ソルベルグは真っ先に彼を祝福し ていた。勝つと体全体で喜ぶ彼のファンは非常に多い。

WRC初勝利は2002年。前年までは一瞬の速さは見せ付けるがリタイヤが多いという評価だった ペター・ソルベルグはこの年着実にレベルアップしWRC初勝利も近いといわれていた。
そして最終戦のグレートブリテンラリーで、その年無敵を誇っていたプジョー206のマーカス・グ ロンホルムがリタイヤすると確実な速さで見事初勝利を飾る。
翌年の2003年は、セバスチャン・ローブと激しいタイトル争いを繰り広げ、ペター・ソルベルグ のポイントが72ポイント、セバスチャン・ローブが71ポイントと1ポイント差で自身初のドライ バーズタイトルを獲得した。
特にその年のオーストラリアラリーはペター・ソルベルグとセバスチャン・ローブの激しいデッドヒ ートが熱く、自分がラリーを見始めてからのベストレースとなっている。
2004年は3戦連続リタイヤのあとラリージャパンを含む3連勝。結果の波が激しく、アイスクー ルの異名を持つセバスチャン・ローブの堅実な走りの前にタイトル防衛はならなかった。
翌2005年は3勝をあげるもセバスチャン・ローブにタイトル防衛され、ペター・ソルベルグはド ライバーランキング2位で終わる。

2006年ごろからインプレッサWRCはトラブルが相次ぐようになりマシンの競争力が低下。シト ロエンとフォードに大きく差をつけられるようになり、ペター・ソルベルグ自身、2004年グレー トブリテンラリーを最後に勝利を飾ることは出来ていない。
2008年のアクロポリスで久々にポディウムの登ることが出来たがインプレッサの競争力は以前の 輝きを取り戻したとは言えず、ドライバーズタイトル、マニファクチュアラーズタイトルどちらも絶 望的。
ペター・ソルベルグファンの自分としては勝てないスバルに残るよりは移籍という思いもあるし、ブ ルーのウェア以外を着ているペターの姿を想像できないという思いもある。
願わくは嘗ての輝きを取り戻したインプレッサでもう一度ペター・ソルベルグがポディウムの真ん中 に立っている姿を見たい。

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